桜の木を切ると不吉といわれるのはなぜ?
春の風物詩として親しまれる「桜の木」。その美しさとは裏腹に、「桜の木を切ると不吉なことが起きる」「祟りがある」という言い伝えを耳にしたことがある方もいるのではないでしょうか。
日本では古くから、桜はただの樹木としてではなく、神聖な存在や霊的な象徴として扱われてきました。そのため、桜の木を不用意に切ることは、縁起が悪い行為とされることが多いのです。
本記事では、桜の木を切ることがなぜ不吉とされるのか、その背景にある信仰や言い伝え、そして実際の影響について詳しく解説します。
桜の木には神様や魂が宿るとされてきた
古来より「木霊(こだま)」が宿ると信じられていた
日本の伝統文化においては、「木には魂が宿る」という自然信仰が根強くあります。特に古くて大きな木は「木霊(こだま)」と呼ばれる精霊が宿っているとされ、無断で伐採することは禁忌とされてきました。
桜の木も例外ではなく、特に寺院や神社、古墳の近くに植えられたものは、神聖な木として扱われてきました。これらの桜を切ることは、「神の怒りを買う」として恐れられていたのです。
桜と死・別れのイメージの重なり
桜の花は、その美しさとともに、はかなく散る性質から「死」や「別れ」の象徴ともされています。戦前の時代には、特攻隊員の精神と重ねられるなど、命の儚さの象徴として用いられる場面もありました。
このように、桜には“美と死”という二面性があり、その花が咲く木を切るという行為に「命を断つ」「縁を切る」といった不吉な意味合いが重ねられてきたと考えられます。
「祟りがある」という言い伝えは本当?
地域により異なる言い伝えや実話
桜の木を切ったことで「不幸が続いた」「事故が起きた」といった噂や体験談は、地方によっては語り継がれています。特に、墓地や神社、古い屋敷にある桜の木を伐採した直後に病気や災難に見舞われたという話もあります。
ただし、これらは科学的な根拠に基づくものではなく、あくまで民間伝承の域を出ないものです。とはいえ、地域の信仰や言い伝えを尊重する意味では、安易な伐採は避けるべきといえるでしょう。
伐採時に供養や祈りを行うことも
寺社や古い屋敷などで桜の木を伐採する場合、多くは「神職や僧侶を呼んで供養をする」「塩や酒を撒いてお清めをする」など、儀礼的な手順を踏んでから伐採が行われます。
こうした儀式は、単なる形式ではなく、「自然への畏敬の念」や「木に宿る霊への感謝と別れの挨拶」として意味づけられています。
実際に桜の木を切るときの注意点
法律・所有権・管理規則にも注意
桜の木が公共の場所や文化財に近い場所にある場合、勝手に伐採することは法律違反になる可能性があります。たとえ自宅の敷地内であっても、市町村の景観条例や保護対象に指定されているケースもあるため、事前確認が必要です。
また、桜は根が広く張るため、切ることで土壌が不安定になったり、近隣の家屋や設備に影響を及ぼす可能性もあります。伐採の際は専門業者への依頼が安全です。
「切る理由」が正当かを見直す
病害虫や倒木の危険など、やむを得ず桜の木を切る場合もありますが、「花が散って掃除が面倒だから」「隣の家に迷惑だから」といった理由だけで切ることは慎重に検討するべきです。
特に古木であればあるほど、その木が持つ意味や役割は大きく、安易な判断は周囲とのトラブルにもつながりかねません。
まとめ:桜の木を切る前に考えたい3つの視点
桜の木を切ることが「不吉」「祟りがある」とされるのは、単なる迷信ではなく、日本人の自然観や死生観、信仰の価値観と深く結びついています。
桜を切る前には、次の3つの視点で見直してみましょう。
- その桜の木に、歴史的・宗教的な意味があるか
- 近隣住民や地域の伝承に配慮しているか
- 感謝と敬意の気持ちをもって向き合っているか
美しく咲き、そして儚く散る桜の木には、人の心を揺さぶる力があります。だからこそ、その命を絶つときには、何よりも“心を込めた態度”が求められるのです。